少年時代
京成うすい駅前の千葉銀ビル5階に法律事務所とFP事務所が一緒のユニークな合同事務所があります。
そのFP事務所の代表が僕です。社名は、「 W I M 」 と書いてウイムと読みます。
突然ですが、皆様は黒部ダムを知ってますか?
石原裕次郎、三船敏郎が出演し、大ヒットした映画「黒部の太陽」のモデルで、最近ではあの「プロジェクトX」でも「黒部ダム建設プロジェクト」として放映され大反響よんだダムです。そして、平成14年暮れの紅白で、中島みゆきさんが黒部ダムのトンネルから生中継で「地上の星」を歌い54.9%の高視聴率を出して話題となりました。
黒部ダム別名は「黒部川第4発電所」と言い24年の歳月をかけ昭和38年3月に完成しています。 この黒部ダムの工事現場に何故か6歳の僕がいたのです。
父が黒部ダムの発電用水圧鉄管を移設する仕事を親方として行ない、母は宿舎を切り盛りしていました。
僕は山奥の現場宿舎から町の幼稚園まで毎日通っていました。
今でもこの「世界に誇る黒四ダム」と「黒部ダムを手掛けた父」 「父を支えた母」は僕の自慢です。
高度経済成長に電力不足が重なり松井家は日本全国を転々としていました。
僕が記憶するだけでもたった6年間で3箇所の現場を転々としています。転校のたびに幼心に味わう切なさはに今でも忘れられません。
幼稚園で「舌切雀」の主役を務めたせいでしょうか?両親は勝手に僕を優秀な子供と勘違いし、このままでは学業に支障をきたすと、小学1年から母方の実家、岐阜県白川村(これまた今では世界遺産になっています)の祖父母に僕を預けたのです。日本は東京オリンピックで盛上がっていた年でした。
母から「日本国民は小学生になると両親から別れ、はなれた小学校に入学するのがこの国の決りだ」と洗脳されていた僕は、悲しみを押え、胸を張って白川村平瀬小学校の入学式に望んだのです。
皆様、、、、、洗脳は怖いですよ、、ご注意下さい、、、、、(^^;、
小学校に入学してすぐ母の嘘はばれましたが、不思議と母に対する怒りは涌いて来ず、逆に母には心配をかけまいと誓う僕がそこにいました。ただ、大人になったら転勤のある仕事には付きたくないと幼心に決めていたようです。
大自然の懐に包まれて、祖父母からは溺愛され、親から開放された僕が勉強などするハズがありません。いつもランドセルを廊下にほり投げて山や川(白山や白川)に毎日遊びに行きました。
あまりに勉強をしない僕を見かねた祖母が畑仕事に疲れていた体で僕の宿題をやっていました、、、(タヨおばあちゃん)ゴメンナサイ。
世の中に受験勉強と言うものがあることも知らず、世界遺産をかけまわる「田舎っぺ大将」、それが幼少時代の僕でした!!
5年後大阪に会社を設立してた両親は僕を呼び戻しました。大阪のマンモス小学校の最初のテスト、ここで僕の本当の実力を両親が知るのですが。
“唖然とする二人の顔”は今でも忘れられません。
ここからが自由奔放に育った「いなかっぺ大将」の本当の戦いが始りますが、その話しはまた別の機会に掲載します。
人の心に住むと言う「青い鳥」を、幼い頃から探し求めた僕が、人の不安や不満を解決するFPの道を今、あゆんでいているのは定めかもしれません。
ともすれば、悲観的になりがちな老後に、青い鳥をお届けするのが弊社の使命です。
これからも、出会いは感謝し、ご縁は大切に、生きていきたいと思います。
株式会社ウイム 代表 松井信夫

