会社情報プライバシーポリシーサイトマップお問い合わせ
FP相談センターウイム

HOME >> ウイムの心

ウイムの思う金融とは


「金融とは何か」という問いをされたら、あなたはどう答えるでしょうか。

金融というものを突き詰めていくと「信用」ということに凝縮されます。

「金融とは信用である」ということになるのです。それでは、信用とは何でしょうか。

信用とは、事実や行動に裏打ちされ、長い間にわたって築かれた信頼関係ということ

になります。信用を築くには多くの時間がかかりますが、失うのは一瞬です。これは、雪印や三菱自動車の例を見れば明らかですね。

銀行の不良債権の処理に関連して「資本注入」ということがよくいわれます。

銀行が持っている資金は、他から借りている他人資本と自己資金である自己資本の2つがあります。ここで、他人資本に当たるのは、預金と日本銀行から借り入れている資金のことをいいます。

一方自己資本とは、銀行が株などを売って得た資金や株を購入してその株が値上がりすることによって得られる株の含み益などの過去の収益の積重ねである余剰金と銀行が株を発行して得られた資金等つまり銀行自身が所有している資金です。

これら他人資本と自己資本を合わせたものが総資産ということになりますが、総資産の中で自己資本がどのくらいあるかを示す比率が自己資本比率といいます。

日本の銀行は自己資本比率が欧米の銀行に比べて低すぎると指摘されているのです。

そこで国が公的資金を出して銀行の自己資本を増強させようというのが資本注入です。

そして実際に膨大な公的資金が銀行の資本増強のために注入されたのです。

しかし、それで日本の銀行や金融システムは果たして強化されたでしょうか。

答はどう考えても「ノー」です。

そもそも自己資本が足りないということは、信用自体が揺らいでいることを意味します。

ですから、単にその足りない資金を増強したからといって、直ちに信用が回復するものではないでしょう。一度揺らいだ信用はなかなか回復しないのです。

ギャンブルでうつつを抜かしてお金がスッカラカンになった人にお金を貸してその人が更生するはずはないのです。

そんなことは常識で分かるはずなのに日本では平気でこれと同じことをやっているのです。

自分としてはその様な銀行・国をいまだに信用して預貯金を預けている国民も同罪と思うのであるが!?

   ▲このページの上へトップページへ戻る

少年時代


京成うすい駅前の千葉銀ビル5階に法律事務所とFP事務所が一緒のユニークな合同事務所があります。
そのFP事務所の代表が僕です。社名は、「 W I M 」 と書いてウイムと読みます。


黒部ダム突然ですが、皆様は黒部ダムを知ってますか?
石原裕次郎、三船敏郎が出演し、大ヒットした映画「黒部の太陽」のモデルで、最近ではあの「プロジェクトX」でも「黒部ダム建設プロジェクト」として放映され大反響よんだダムです。そして、平成14年暮れの紅白で、中島みゆきさんが黒部ダムのトンネルから生中継で「地上の星」を歌い54.9%の高視聴率を出して話題となりました。
黒部ダム別名は「黒部川第4発電所」と言い24年の歳月をかけ昭和38年3月に完成しています。 この黒部ダムの工事現場に何故か6歳の僕がいたのです。


父が黒部ダムの発電用水圧鉄管を移設する仕事を親方として行ない、母は宿舎を切り盛りしていました。
僕は山奥の現場宿舎から町の幼稚園まで毎日通っていました。
今でもこの「世界に誇る黒四ダム」と「黒部ダムを手掛けた父」 「父を支えた母」は僕の自慢です。


高度経済成長に電力不足が重なり松井家は日本全国を転々としていました。
僕が記憶するだけでもたった6年間で3箇所の現場を転々としています。転校のたびに幼心に味わう切なさはに今でも忘れられません。


幼稚園で「舌切雀」の主役を務めたせいでしょうか?両親は勝手に僕を優秀な子供と勘違いし、このままでは学業に支障をきたすと、小学1年から母方の実家、岐阜県白川村(これまた今では世界遺産になっています)の祖父母に僕を預けたのです。日本は東京オリンピックで盛上がっていた年でした。


母から「日本国民は小学生になると両親から別れ、はなれた小学校に入学するのがこの国の決りだ」と洗脳されていた僕は、悲しみを押え、胸を張って白川村平瀬小学校の入学式に望んだのです。

皆様、、、、、洗脳は怖いですよ、、ご注意下さい、、、、、(^^;、 

小学校に入学してすぐ母の嘘はばれましたが、不思議と母に対する怒りは涌いて来ず、逆に母には心配をかけまいと誓う僕がそこにいました。ただ、大人になったら転勤のある仕事には付きたくないと幼心に決めていたようです。

合掌づくり大自然の懐に包まれて、祖父母からは溺愛され、親から開放された僕が勉強などするハズがありません。いつもランドセルを廊下にほり投げて山や川(白山や白川)に毎日遊びに行きました。
あまりに勉強をしない僕を見かねた祖母が畑仕事に疲れていた体で僕の宿題をやっていました、、、(タヨおばあちゃん)ゴメンナサイ。 


世の中に受験勉強と言うものがあることも知らず、世界遺産をかけまわる「田舎っぺ大将」、それが幼少時代の僕でした!!


5年後大阪に会社を設立してた両親は僕を呼び戻しました。大阪のマンモス小学校の最初のテスト、ここで僕の本当の実力を両親が知るのですが。
“唖然とする二人の顔”は今でも忘れられません。
ここからが自由奔放に育った「いなかっぺ大将」の本当の戦いが始りますが、その話しはまた別の機会に掲載します。


人の心に住むと言う「青い鳥」を、幼い頃から探し求めた僕が、人の不安や不満を解決するFPの道を今、あゆんでいているのは定めかもしれません。
ともすれば、悲観的になりがちな老後に、青い鳥をお届けするのが弊社の使命です。
これからも、出会いは感謝し、ご縁は大切に、生きていきたいと思います。

株式会社ウイム 代表 松井信夫

   ▲このページの上へトップページへ戻る

FPになったゆで蛙!


熱湯の鍋にカエルを入れると、その熱さに驚き飛び出すそうである。しかし、鍋を水から暖めると、その心地よさにゆで蛙となり死んでしまう。
ちまたでは、変化に目覚めない損害保険代理店のことを「ゆで蛙」と言う。

これから私が書こうとしているのは世間知らずで無鉄砲、勇気と無茶の区別がつかぬまま鍋の外に飛び出したはみ出し蛙のたどった道のりである。


ぬるま湯での迷想

彼は大手損害保険会社の特級一般代理店店主である。彼は前から悩んでいた。


損害保険の主力商品が自動車保険であるならば、顧客の為には事故処理のプロになるのが一番である。その道のプロとは法律で認められた「弁護士」か非合法の「○○」である。とうてい彼には弁護士になる頭もなく、○○になる勇気もない。そこで、彼は隣接業界の生命保険に逃げ道を求めた。生命保険販売ならば事故処理を武器にすること無く、楽しく仕事が出来るのではないかと…?


でも待ち受けていたのは、損害保険では考えられないGNP(義理・人情・プレゼント)攻勢と、"お金に愛を込めることは出来ませんが、保険には遺族への愛を込めることが出来ます"などと言う人の優しさに付け込む新興宗教のような勧誘の世界と、「この保険に加入頂ければ△△万円節税できます」と言う脱税指導のような営業であった。


彼の根底には、保険には"夢"が無く、人の不幸を商売にしている後めたさがあったようである。しかし、彼は保険の合理性と必要性は誰よりも良く理解していた。



カッコ良さにあこがれてぬるま湯からの大脱出

彼は虫の良いことをいつも考えていた

  • カッコよく仕事が出来ないか!!!
  • 借り物ではない自分の能力や、自分の作った商品で人の役に立ちながら収入を 得ることが出来ないか!!
  • 欧米では常識であるが、日本ではまだ誰も行っていない仕事はないか!!
  • などと都合の良いことばかり常に考えていた。

そんな時、ファイナンシャルプランナー(以後FP)という資格に出会う「お客様の"夢"の実現を財務上からサポートする」これはいいと彼は思った。
何しろ彼の好きな"夢"が商売である。日本ではまだFPがあまり知られておらず、大手金融機関のFPは顧客サイドに立った真のFP活動は出来ない。

地域に密着した逃げ道のない個人代理店であることが武器になると彼は考えた。
そして何より英語にコンプレックスのある彼にはFP(ファイナンシャルプランナーf?と言う外来語が非常にカッコよく心に響いた。

彼はすぐさま行動に移った。結果は別として彼の行動はいつも素早い。
FPこそは神から与えられた天職だと信じ資格取得に走った。
工業高校、工業大学を出た彼には基礎学力で少々問題があった。
彼にとってCFPの試験はかなり大変であったようである。
しかし、単純な彼は信じ込むといつも驀進する。そして神は平成10年のCFP試験に彼を合格させてしまったのである。



FPとしての営業

FPを天職と信じていた彼はまたすぐに行動を開始した。
営業畑で15年以上過ごした彼の目から見たFP業界は宝の山のように見えた。
(後で収益の低さに悩むのではあるが、この時は仕事は無限にあるように感た)
彼は3つのことを即実行に移した。

一つ目はFPの教育事業への参加である。
FP協会認定の教育機関に片っ端から営業をかけた。
まだ損害保険の認定講師が少ないこともあり、すぐに三つの教育機関よりFP養成講座講師として採用され、教壇に立ったのである。

二つ目は自らが一般の人々を対象としたマネー講座を企画し、世の中に金融知識を広める努力を行った。これも公民館・カルチャーセンターへの積極的な売込みにより、思った以上の成果を上げることが出来た。
しかし、上記の活動は知名度が上がり、先生と呼ばれ気分的には最高であったが、収入は少なく彼の事務所を維持していくには心もとない額であった。

三つ目は保険以外の金融商品、有価証券(リスク商品)の販売であった。
このことがぬるま湯で育った蛙にとって一番の試練となるのである。


彼の15年来の仕事は、リスクを避けること、リスクを補う方法を顧客に勧めてきたのである。
その彼が" 夢をかなえる為にリスクを取り入れましょう… "と顧客に勧めるのである。
有価証券投資もしたことがなく、彼を保険屋としか見ていなかった顧客が戸惑うのは当たり前である。保険屋がリスクを勧めに来たのだから……


悩んだ末に彼は、自分がモット金融知識を深めれば、リスクの必要性をわかりやすく説明でき、顧客は夢の実現の為にリスク金融商品も購入してくれると思った。単純な彼はまた、金融工学の勉強に励んだのである。
同時進行していたマネー講座でエンドユーザーの気持ちが理解できたことと金融知識向上の相乗効果で、彼はリスク金融商品販売の壁を乗り越えたのである。
自信を付けた彼は大胆にも保険で取引きのある顧客に対し、マネー教室を開き投資信託等のリスク商品を販売したのである。
今の彼は既存の証券会社等にはない販売方法と、消費者本位の販売でエンドユーザーから強い信頼を勝ち取っている。


21世紀に向けて

今、彼は年に100回以上の講師や講演をこなしている。しかし、FP相手の仕事はもう止めようと決心している。
マネー講座を通じて一般の人々が金融知識を欲していることが肌で感じられ、リスク商品を売ることにも自信の付いた彼が次のターゲットを「ぬるま湯の鍋(保険会社)」と「元同僚の蛙(代理店)」そして他の金融機関に定めたことは自然の流れであった。
苦労して得た金融知識とセミナーの企画を保険会社や他の金融機関に販売しょうと考えたのである。保険会社の代理店がリスク商品を販売する為には乗り越えなければいけない高い壁が幾つもある。リスク商品を販売したことがない保険会社の社員が行うセミナーでは、とうてい克服できないと思う。
また外部講師は元証券マン等が多く、PER・PBRも聞いたことが無い代理店にわかりやすく金融知識を教えるのは無理である。ましてや、代理店がリスク商品を販売する為の販売士気を証券マンに高めさせることを望むのは酷である。
高い壁を乗り越えてきた彼の経験は、古巣の保険会社が最も欲するものと信じ、21世紀は保険会社を最大の見込み客と定め営業をかけている。
また、最近では保険会社以外の金融機関(証券会社・銀行等)が変額年金保険を販売するようになり、彼が持っている保険販売の技法も高く評価されるようになっている。

彼のもとには一緒に壁を乗り越えたFPの仲間や、彼を信じて付いて来てくれた従業員そしてマネー講座を共に企画・運営する美人の蛙たちが集り、次なる戦の準備に余念がない。

最後に彼からメッセージが届いているので紹介する。

「金融機関の皆様こんな"はみ出し蛙"の私で良かったら、「日本の消費者に刺激を与える為にご利用下さい!!」
FP事務所 (株) ウイム 松井 信夫


追伸:はみ出し蛙は今年に入り、外資系保険会社が主催する演題"21世紀型資産運用"で大成功をおさめ、リスク金融商品を大量に販売したようである。

   ▲このページの上へトップページへ戻る