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資産運用相談センターウイムWIM:画像 〒285-0837 千葉県佐倉市王子台1-28-8千葉銀うすいビル5F
TEL 043-461-7888
FP相談センターウイム

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プロフィール


ウイム代表、松井信夫プロフィール松井信夫 (まつい・のぶお)

株式会社ウイム 代表取締役
ファイナンシャル・プランナー
CFP(R)
一級ファイナンシャル・プランニング技能士

全国各地で年150回以上のセミナーを行なう人気FP。某証券会社が行なった全国FPセミナーにて全国ナンバーワン講師の称号をえる。難しい経済や金融の話をわかりやすく、楽しく、パフォーマンスを交えながら、具体的な実践方法まで伝えている。そのため、通算10回を超える受講者も数多い。また、最近では運用セミナーでありながら、なぜか感動し目頭を熱くする人もいる。

講演先 郵政公社・NHK文化センター(東陽町・柏・千葉・ユーカリ ・町田・水戸)、明海大学、大和証券、日興證券、駿河銀行、トヨタホーム、三菱重工、ヒューマンアカデミー、早稲田セミナー、東京ビジネスコンサルティング、プルデンシャル生命、アリコジャパン、ING生命、AXA生命、きらめき生命、各地商工会議所・消費者センター・ 市町村公民館等での講師活動

執筆 金融時事用語辞典(日銀他との共著・金融ジャーナル版)、FPの知恵袋(共著、ビーケーシー出版)、朝日新聞・読売新聞・保険毎日新聞 、明海大学AFPテキスト(相続・損害保険)、株式会社TBCAFPテキスト(相続・損害保険)…等

出演 テレビ朝日スーパーJチャネル、CNCテレビ゙、ビデオ「未来への奇跡」…他

経歴
昭和55年 3月 摂南大学 工学部 土質学科卒業
昭和55年 4月 株式会社精研にて凍土の研究開発にあたる
昭和57年 7月 住友海上火災保険株式会社に特別研修生として入社
昭和59年 7月 損害保険代理店として独立開業
平成 1年 11月 損害保険代理店特級一般代理店に格上げ
平成 3年 3月 株式会社ウイムを設立し代表取締役に就任
平成10年 11月 日本FP協会認定CFPRに合格、 FPの仕事を本格的に始動
平成11年 4月 日本FP協会・ICFP JAPAN千葉支部 広報幹事に就任
平成13年 6月 佐倉警察署管内犯罪被害者支援連絡協議会会員に就任
平成14年 6月 日本FP協会広報センター相談員に就任




松井信夫の少年時代

京成うすい駅前の千葉銀ビル5階に法律事務所とFP事務所が一緒のユニークな合同事務所があります。そのFP事務所の代表が僕です。社名は、「 W I M 」 と書いてウイムと読みます。

黒部ダム突然ですが、皆様は黒部ダムを知ってますか?
石原裕次郎、三船敏郎が出演し、大ヒットした映画「黒部の太陽」のモデルで、最近ではあの「プロジェクトX」でも「黒部ダム建設プロジェクト」として放映され大反響よんだダムです。そして、平成14年暮れの紅白で、中島みゆきさんが黒部ダムのトンネルから生中継で「地上の星」を歌い54.9%の高視聴率を出して話題となりました。
黒部ダム別名は「黒部川第4発電所」と言い24年の歳月をかけ昭和38年3月に完成しています。 この黒部ダムの工事現場に何故か6歳の僕がいたのです。

父が黒部ダムの発電用水圧鉄管を移設する仕事を親方として行ない、母は宿舎を切り盛りしていました。
僕は山奥の現場宿舎から町の幼稚園まで毎日通っていました。今でもこの「世界に誇る黒四ダム」と「黒部ダムを手掛けた父」 「父を支えた母」は僕の自慢です。

高度経済成長に電力不足が重なり松井家は日本全国を転々としていました。
僕が記憶するだけでもたった6年間で3箇所の現場を転々としています。転校のたびに幼心に味わう切なさはに今でも忘れられません。

幼稚園で「舌切雀」の主役を務めたせいでしょうか?両親は勝手に僕を優秀な子供と勘違いし、このままでは学業に支障をきたすと、小学1年から母方の実家、岐阜県白川村(これまた今では世界遺産になっています)の祖父母に僕を預けたのです。日本は東京オリンピックで盛上がっていた年でした。

母から「日本国民は小学生になると両親から別れ、 はなれた小学校に入学するのがこの国の決りだ」 と洗脳されていた僕は、悲しみを押え、 胸を張って白川村平瀬小学校の入学式に望んだのです。

皆様、、、、、洗脳は怖いですよ、、ご注意下さい、、、、、(^^;、 

小学校に入学してすぐ母の嘘はばれましたが、不思議と母に対する怒りは涌いて来ず、逆に母には心配をかけまいと誓う僕がそこにいました。ただ、大人になったら転勤のある仕事には付きたくないと幼心に決めていたようです。



合掌づくり大自然の懐に包まれて、祖父母からは溺愛され、親から開放された僕が勉強などするハズがありません。いつもランドセルを廊下にほり投げて山や川(白山や白川)に毎日遊びに行きました。
あまりに勉強をしない僕を見かねた祖母が畑仕事に疲れていた体で僕の宿題をやっていました、、、(タヨおばあちゃん)ゴメンナサイ。 

世の中に受験勉強と言うものがあることも知らず、世界遺産をかけまわる「田舎っぺ大将」、それが幼少時代の僕でした!!

5年後大阪に会社を設立してた両親は僕を呼び戻しました。大阪のマンモス小学校の最初のテスト、ここで僕の本当の実力を両親が知るのですが。 “唖然とする二人の顔”は今でも忘れられません。 ここからが自由奔放に育った「いなかっぺ大将」の本当の戦いが始りますが、今は話したくないので、カットします。
人の心に住むと言う「青い鳥」を、幼い頃から探し求めた僕が、経済的な不安や不満を解決するFPの道を今、あゆんでいているのは定めかもしれません。ともすれば、悲観的になりがちな老後に、青い鳥をお届けする、それが弊社の使命です。
これからも、出会いは感謝し、ご縁は大切に、生きていきたいと思います。

なお、なぜ土建屋の息子がFPになったか?は 「FPになったゆで蛙」をご覧下さい。
株式会社ウイム 代表 松井信夫

追記:田舎っぺ大将が遊んだ家は、現在「白山荘」 として、いとこが民宿をしています。
合掌造りで温泉もあります。松井の紹介と言って頂くと、多くの笑顔が出迎えてくれます。

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